
「あーあ、1日が25時間、いや30時間あったらなあ」って思っている方っていらっしゃるんじゃないかな、と思います。私も、若いときはすごーく思っていました。やりたいこと、やらなきゃならないってことがいっぱいあって、時間があっても、あっても足りない気がしました。今はね、考えてみたら、あんまり思わないんですね。気がついたらそう思わなくなっていた感じ。なんでだろう!?
時間って不思議だなあ、と思う。時計の刻む時間はたぶん、みーんなに平等で、誰でも24時間ずつあるんだろうけど、それを短い少ないって思う人もいーっぱいあると思う人もいるし、一人の人間の中でも同じ1時間をながーいと思うことも、あっという間と思うこともしばしばあるよね。ながーーく感じる時間がある一方、その積み重ねの1年なり10年なりはあっという間って思ったり、感じ方ってコロコロ変わる。だから、もっと時間があっても、やっぱりみーんなにとって、いつでも、いっぱい時間があるっていうことはありえないんだろうね。変なの。
この本の前半は、いろんな時間の長さがあるということをくだくだくだくだ言っているのよね。生活実感としても人生実感としてもわかりきったこと。そして、いろんな長短の時間を経験してみて、結局は使いこなすことだ、というのだ。
時間を取り戻す6つの法則として
1)時間の主導権を握る
2)自分の体内時計を知る
3)余暇を作り出す
4)感覚を研ぎ澄ます
5)集中する訓練をする
6)本当の優先順位を考える
ってある。うん、当たり前って言えば当たり前のことばっかり。
私、時間にすごーく追われていた一時期(特に乳幼児子育て期)をなんとか経てしまった後は、時間がない、足りないってあんまり思わなくなっちゃった。なんだか、今は普通にフルタイムサラリーマンしてるけど、時間的には余裕がないって全然思ってない。たぶん、私の時間を知る人は、「忙しそう」「毎日朝早くて夜遅くてたいへん」って言うのだけど(実母は完全にそう思っている、面倒だから思わせておく)、本人は主導権を握っているし、体に合うことしているし、余暇を使っているし、実はあんまりたいへんって思ってない、自分で時間をコントロールしている中で今の生活パターンを作っているので、実は結構満足。つまり、実質的にどれだけヒマな時間があるかないかが主観的な忙しさや余裕のなさを決めるものじゃないんじゃないかな。ということがこの本でやっぱり確認できたのでした。
ちなみに、著者が引用しているストレス研究者の研究で
「ランニングでもウオーキングでもヨガでも、どんな運動でも運動はストレスホルモンを再び物事に集中できるレベルに戻してくれる。だから結果的に運動によって失われる時間よりずっと多くの時間が得られることになる」というのがあって、これはほーんとに日々痛感しています。私のジム通いも、そして土曜日の朝のお散歩タイムも、加齢により衰える集中力を維持するのに、すごーく役に立ってます。まあ、人並みにストレスフルな仕事なのですが、それでも、私を維持できるのに、運動やお散歩はとても有効です。
そして、私のマネをして同じ朝ジムに入会したオット(えーと、私は2年半くらい前に私が6年通った職場近くの小さなジムから、渋谷の大手のジムに移籍したのです。そこは朝のプログラムが充実していて、楽しい楽しいと出かけている妻を見て、オットがマネして半年後に地元ジムから移籍して同じジムに入ってきました。マネッコです)を見ていると、仕事拘束時間が私よりずーっと長いオットの仕事なのですが、この朝ジムのせいで、彼の集中力や体調がずいぶん変わったなあ、と見ております。日本の首都圏の大企業のサラリーマンっていうのは、メチャクチャ忙しいのが普通でストレスフルだと思うのですが、それでも運動効果は大きいなあと思うのです。休日の過し方を見ていても、50にリーチかかっているはずなのに、ずいぶん変わってきったな、と思います。本人も、子会社の合併だのなんだのすごいストレスの中で「これでも、病気にもならずになんとかやれてるのは、エアロのおかげだ」と言ってます。あ、慌てて「りょうの、おいしいご飯も」と、妻のご機嫌とりも忘れてないのは、長い教育の成果でしょう。
というわけで、時間の主導権を握り、自分に合わせてコントロールする、(できないときは、できない期間を短期間にするようにして体力でやりすごす)、ストレス解消し、集中力を高める手段を日常に組み入れる、その中で優先順位をつけるのは、自分なのです。うん。人生泣いても笑っても、追われても、自分がコントロール、たぶんあと数十年、笑って、自分で時間を主導して生きたいもんだ。
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