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2016年5月14日 (土)

きものが欲しい

 あたしの同年代近辺(あくまでも近辺。40代から50代くらいかな)のお友達。子育てもそろそろ終盤(まあ、遅めに取り掛かった方はまだ佳境だけど)、恋愛沙汰はどうでもよろし、仕事も手慣れた感じ。で、あれこれ、自分の趣味に*も*時間を使えるようになってきている人たち、女性の趣味としては

○運動系

 あたしもそれだと思います。走ったり、登ったり、踊ったり。

○文科系 

 楽器を習ったり、歌ったり、お茶したり、お勉強の学校行ったり

○鑑賞系

 歌舞伎やミュージカルや、演劇や、映画や、展覧会や、コンサートや、そういうのを鑑賞する

○創作系

 お洋服や編み物や織物や、手仕事や創作をする、油絵を習って書いたり、墨絵を習ったり、焼き物(陶器)をやったり

 

 なんて、1人1人の嗜好で、あれこれ初めています。もちろん、一つじゃなくって、複数あれこれやってますね。そして、これはDOする趣味なのか、どうかわからないけど、「着物」つまり和服を着たり、着るために揃えて、組み合わせを考え、着ていく場所として、お茶や歌舞伎や、お稽古や、いろんな場を目指して行動する。っていう方も結構います。着物っていうと=高い、とか面倒とか、いろいろあるんでしょうけど、いやいやそうじゃあなくって、晴れ着としての着物じゃない着物があるんだ、ということも、そういう人たちを通して知りました。そうよね、ほんの100年までさかのぼらなくても、日常着としての着物があったはずだもんね。日常着として、ちょっとしたワンピースみたいなお出かけ着として着物があったはず。

 群さんは、晴れ着としての着物じゃなくって、ねえやさんみたいな着物が欲しいと思い続けてきて、あれこれ失敗もいっぱいして、そして今も着物と付き合っている、その変遷を書いておられます。なーるほど。日常着から離れたところで、着物の「敷居の高さ」「店のわからなさ」「おばさんに取り囲まれて、しきたりを押し付けられて」「ぼったくられる」感が強まったところで、衰退があるんだ、という構造と、その中での現代の着物愛好家の努力と、現実がよーくわかります。

 あたし、大きさ的に腕の長さ的に、肩のいかり方的に、行動体系的に着物的じゃないので、実は着物は「いらんいらんいらいらん」と何百万回も宣言してきました。娘に着物を持たせようとする親に、そんなもの持たせても即座に焼却炉に入れるからな、と脅しまくって、拒絶してきました。たまたま日本人的じゃない家庭のオトコと結婚したこともあって、法事とか、お正月とか、も一切ないので、一枚も持っていません。今のところ、今後、一枚も持つ予定もありません(いつか主旨替えするかもだけど)。でも、この本の群さんの写真を見ると、あーいいなあ、こういう着物って思う、楽しい感じ。晴れ着じゃなくって、普通に着物を楽しんでいる感じがあります。こういう風に着れるようになるまで、どんだけ投資と挫折があったのか、というのが本を読むとわかるので、あたし、洋服でいいや、50年近く買い続けてきた洋服をうまく着れるようになる方が、現実的だろう、まだ近道だろうと思ったりもします。でも、本としては面白い。着物業界の大間違えも、群れさんの、苦労も、投資、いやドブに捨ててきたいろんなことも、わかって面白いです。

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